交通に関する子供の頃からの思い
小学校三〜四年の頃に以下二つのことを思い始めた。以来三十五年間、基本的思いは変っていない。
・排ガスを撒き散らし交通事故で多数の人を殺すクルマが世の中に多過ぎる
・鉄道をもっと合理的に運行すれば、はるかに便利にできる
昭和四十年代後半から五十年代、私が小学校高学年から中学・高校の頃、国鉄のサービスが非常に悪く、赤字も増える一方、ストも頻発して徹底的に非難されていた。子供ながらに、自分が国鉄総裁になった方がもっと鉄道を便利にできるなどと生意気なことを夢想していた。
大学一年の秋から四年の秋までの三年間、徹底的に自動車を使った。一年間で三百五十日は自動車を運転し、電車に乗る日は十日以下という生活だった。ずいぶん贅沢をと思われようが、交通の仕事をライフワークにすることをイメージしていた。私は何でも現場主義で、実際に自動車を乗り回し、東京三百キロ圏の道路ネットワークをほとんど知った上で、道路をいくら建設しても渋滞は解消しない、自動車は二十一世紀の主たる交通システムたり得ないと身を以って思い知った。
大学・大学院で交通を専門に研究した時期、国鉄の分割・民営化の議論が進んで改革が実行され、昭和六十二年に新生JR各社が誕生した。その間に、鉄道が充分に能力を発揮できていない理由や歴史を外の立場で学んだ。国鉄には経営の自主権が与えられず、物価対策と称して公共料金の筆頭である国鉄運賃は値上げを抑制され、一方、多数の政治家により全国で「我田引鉄」がされた。それを改めるのが民営化だった。鉄道に能力を発揮させるには、規制緩和を進め鉄道事業者に経営の自由を与えることが不可欠との思いは、当時の勉強により揺るぎないものとなった。
JR東日本での勤務時代
どうして起業したのか?
(株)ライトレールの目指すもの
交通にビジネスチャンスはあるか?
(株)ライトレールが社会へお役立ちするために
全文をご覧になりたい方はinfo@LRT.co.jpへご連絡下さい。
|